ある日、ただの時計マニアが、創業1955年・業界再老舗時計修理企業の四代目社長になりました!
60年以上も大手百貨店や時計ブランドのバックヤードを支えてきた、確かな修理技術力と修理に関する知見、
有名ブランド本社/日本法人との長きに亘るパイプとネットワークを活かした、純正部品の調達力。
その後【本当にお客様のことを考えれば、最高の時計修理サービスとは自社満足を否定し、進化し続ける事】
だと気付き、あえて同業他社とも広くネットワークを作り、設備や物流や修理の挑戦工房を共有するに至りました。
より多くのお客様との対話・故障に対する修理対応を行うため、『タワーマンションへの出張修理受付イベント』や『大型骨董市への修理受付出店』『海外での出張修理受付』も行い、どこよりも修理ご提案には自信があります。 全ては『お客様の期待に応える、最高の修理サービスのご提案・提供』のために。
斉田 誠司 Seiji Saida
1970年広島県広島市生まれ。1995年日本大学経済学部卒。輸入時計マニアが高じて、大学卒業後に(株)大沢商会に就職。
新規ブランドの直営店店長、食品事業、ワイン事業、新規事業責任者などを担当。
退社後、(株)ドン・キホーテにて修理支援課を設立、CS推進部、営業支援部長等を歴任、 (株)ネットプライスに転職後は中古買取部門やグループ企業の真贋鑑別部署やコンプライアンス部署、 新規事業初代責任者を歴任した後、2010年2月に(株)藤森商会入社。2010年9月1日より現職。
実戦空手道・合気道・居合道の師範資格、ソムリエ資格、テキーラソムリエ資格、 古物商許可証(行商可免許)、ワイン品質鑑定士、食品衛生責任者資格等も持ち、 その「接客好き&教え好き」の性格から、買取バイヤーの新人育成・講習・セミナー等を 請け負う事もあり、現在も某企業の特命バイヤーとしても活動中。
私は正直、時計修理業界の名門老舗・「株式会社 藤森商会」の創業家とは、全く関係ない所・異業種から来ました。 たしかに、【筋金入りの時計マニア】ではありました。「オタク」と言い換えた方が良いのかもしれません。 マニアが高じて、時計業界の名門商社「株式会社 大沢商会」に就職はしましたが、配属されたのは時計部、 ではなく新規事業部で、主に高級チョコレートやワインの輸入・流通に関わりました。(ソムリエはその際取得)
その間も、お手頃な価格で買える中古時計やマニアックな時計、アンティーク時計を探して購入しながらも、当時(株)大沢商会で扱っていたBREITLING,MOVADO,ZENITH,NOMOSなどの高級輸入時計や、昔扱っていた OMEGAやJaeger-Lecoulteなどの資料を、休憩時間などに時計部や修理部を訪問しては、資料を読み漁り 「基礎知識」を身に付ける中で、『一流時計の時計は、定期的にメンテナンスをすれば一生使い続けられる』 と云う大事な事実を知り、「修理・アフターサービスの世界」に熱く、注目するようになりました。
(余談ですが、その御縁で、当時(株)大沢商会の時計本部長だった西岡達雄氏には、弊社顧問をお願いしています。)
その後、(株)ドン・キホーテの修理受付部署の創設に誘われて転職、「修理支援課」の初代責任者となり、 ベンチャー企業の楽しさを体験させて戴き、その後も(株)ネットプライス(現・BEENOS)に転職した中で 『並行輸入品の修理』『中古品の修理』の問題や壁に突き当たり、日本全国の時計修理会社さんを回って、 時計修理をお願いしてきましたが、正直、当時の私の満足のいく結果を出して下さる会社は皆無でした。
そんな中、某・新宿の超有名大手百貨店のお修理を一気に引き受け、高いレベルの技術力と、顧客対応力で 評判の高かった(株)藤森商会を知り、年間1万本以上を修理する高い技術力、ほぼ全ての時計ブランドとの 強いパイプを持ち、また、どんな時計も老舗のネットワークを駆使して直す対応力の高さに惚れ込んでしまい、 当時の創業家三代目 森 充明社長に修理取引を頼みながら、私が今迄、時計修理に感じてきた不満や、一般顧客から見て解り難い 業界独自の料金体系や修理期間などに対する疑問を強くぶつけると、とんでもない回答が私に返ってきました。
「なら君がこの会社の四代目社長になり、次世代の時計修理サービスを創ってみたらどうだ?」
そうして、【老舗や新進ブランドの下請・日本法人工房としても稼働する、創業60年超の歴史ある老舗時計修理会社】を、時計修理技術者でも創業家でも無いただの時計マニアが、2010年に時計修理業界に革命を起こす為に受け継ぎました。
しかし当時、(株)藤森商会と時計修理業界を取り巻く環境は大きく激変してしまいました。2013年には弊社がほぼ全ての仕事を依存していた新宿の某百貨店が日本橋の百貨店と合併、取引先の刷新に伴い、弊社は撤退を余儀なくされました。 売上や仕事がゼロになり、質屋さんや中古時計販売店を一軒一軒回り、お仕事を分けて戴きながら会社を維持していた際、シンガポール最大のネット通販企業と出会い、一時はその傘下で海外にも進出、時計修理サービスの質を上げていきました。
特に、シンガポールの富裕層マンション、ホテルや企業への【出張時計修理受付サービス】を逆輸入して、友人経営者の住む マンションでイベント的に開催した事業が、日本最大手のコンシェルジュ企業様の目に留まり、専従契約を締結させて戴き 日本向けに進化させ、それを評価してくださった時計ブランド様から契約を復活して頂いたり、お仕事を頂いたり、日本法人や 正規総代理店から新進気鋭のブランドや、老舗ブランド復活の際の「日本での正規修理工房」をお任せいただいたりした事は 弊社の復活と、さらなる技術向上につながりました。(そのノウハウを「藤森時計塾」で後進の方々にお教えしています。)
ところが、2015年に入ると、世界の時計の中心は「スマートウオッチ」「電波時計」に変わってしまい、機械式時計の製造は減り 当然、部品の製造や流通も減り、時計修理業界全体が時計部品の奪い合い、顧客の取り合い、潰しあいに変わってきました。 時計の修理代は2万円なのに、部品代が3万円という、お客様から見れば【良く解らない修理価格】が横行する様になっていき、 それに伴い、シンガポールの通販企業も時計修理業への支援から撤退する事となり、弊社はまた大きく環境が変わりました。
そんな中、私は元々時計修理業界出身で無い事を活かし、本来なら競合他社である(株)五十君商店様や(株)メカニカルウイング様と部品手配や修理工房・物流や検品センターの環境共有する事で【お客様への修理価格・部品代】を押さえつつ、理解ある同業他社や他の修理工房、ブランドメーカーとも腹を割って技術を公開し合い、協力し『お客様にとって最良の修理サービス』を提供する会社へと変貌を遂げました。 今日自社で直せない修理はブランド本社や他社の協力を得て直し、そこでまた学び、『安い・早い・言葉優しい』だけの修理屋さんと違い、【お客様が時計を安心して永く使える為の時計修理】を目指しています。
全ては【お客様にとって、最良最高の時計修理サービスご提供・ご提案のために】 弊社の更なる進化にご期待ください。
2017年12月吉日
株式会社藤森商会 代表取締役社長 齊田 誠司